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これからの大学生に伝えたいこと

執筆日: 25.05.17

アラサーの老婆心

今年私は27歳になるらしく、最近では友人との飲みの場で自分たちはアラサーに突入しているかどうかという、 単なる用語の定義に過ぎない議論が白熱する年頃になった。 研究室では2年前から学生の間に限ると最年長であり、4月から最年長3年目だ。 そろそろ私の老婆心にも拍車がかかり、後輩たちの面倒を見ることと自分の仕事進めることの良いバランスを 取ることが大変難しいと感じるようになっている。

大学という閉鎖空間に7年ものあいだ身を置いていると、学生という教えを乞う立場でもありながら、 未来のある後輩たちにこれまでの経験を教える立場になることも多くなってくる。 それと同時に、日本の高等教育への謎の当事者意識が芽生え、身近な教授たちが将来明るみになるであろう 新しい教育プログラム案について検討しているという噂話が風に乗って伝わってくるのも相まって、 今後の大学教育はどうあるべきなのかという尊大な思考に陥るわけである。

アクティブラーニングと意思

アクティブラーニングという単語は大学一年生の全学教育の授業で知った。 科目名は忘れたが、行動心理学に基づいた教育論の話であった。 Wikipedia によるとアクティブラーニングという言葉が文科省の中央教育審議会で用いられるようになったのは2014年頃から だそうで、用語自体は結構新しいもののようだ。 しかし、人間が無意識的にアクティブラーニングにしている事例は多くあり、部活動などで自主練をする行為は アクティブラーニングに近い行動であると言える。

もう少し用語の定義に言及したい。 同じく Wikipedia は以下のようにアクティブラーニングが定義されている:

学修者主体の学習手法の一つであり、学修者が能動的(アクティブ)に学修(ラーニング)に参加する学習法の総称である

ここで重要なポイントは能動的という言葉が意味するところだと思われるが、個人的な解釈として能動的かどうかは 学修者本人の意思に依存するところであると考えられる。 したがってこの解釈では、先ほど例に出した自主練という教師なし学習だけでなく、教師あり学習であっても学修者の 意思次第でアクティブラーニングになることになりそうだ。

アクティブラーニングと呼ばれる具体的な学習手法としては、問題解決学習 (PBL) や体験学習、グループディスカッション、 ディベート、グループワークなど一度は聞いたことがありそうな用語が並ぶ。 アクティブラーニングはなんだかイケていて効果がありそうだという雰囲気は伝わってくるのだが、本当にそうなのか という疑問が私には残る。 その疑問は、上述した学修者の意志に基づいたアクティブラーニングと、具体的な学習手法としての アクティブラーニングの間に隔たりに起因するものである。

知的好奇心とメタ認知

個人的な思いとしては、在学生やこれから入学する大学生の後輩たちには、自分の知的好奇心を存分に開放してほしいと思う。 私自身、大学に入学し色んな授業に参加し、色んな学生たちを見てきた。 その過程で、自分を含めどんな学生であれ、学修者の意思がアクティブならアクティブラーニングであり、パッシブなら パッシブラーニングであることを認識した。 そしてパッシブになった途端、学習効率はおそらく著しく下がる。 したがって重要なことは、教育者はいかにして学修者の学習意欲をアクティブに作用させるか、そして忘れてはならないのが 学修者本人もどのように自分の学習意欲をアクティブな方向にコントロールするか、という点であると考えられる。

教育者側の視点としては、学修者の学習意欲をアクティブにするための手段として、前述した学習手法を持ち出すことには 何ら問題はないし、おそらく一定の効果測定は行われているはずだ。 しかし、根本的に重要なのは学修者の意思なのだから、手段を講じて満足するだけではいけない。 重要なことは、学修者の心理状態を分析し、その心理状態からより学修者がその学習に意義を見い出せるような、 具体的な提案をすることかもしれない。 そして悲惨な結果を招くかもしれないが、そもそも学修者がその学習を行う必要があるのかどうかという、 タブーの扉も開いてあげることがある種の優しさになるかもしれない。

そして学修者がやるべきことは、自分の学習意欲が何によって支配されているかというメタ認知だと思う。 まずは自分の知的好奇心に忠実になるべきだろう。 知りたいという欲求は、自然と学修者をアクティブラーニングにいざなうと思われる。 それでも、学修者の状況次第ではアクティブな学習意欲が損なわれる可能性もあって、例えば大学生が陥りがちな 睡眠不足や二日酔いなどである。 そのような状態ではアクティブラーニングどころではないはずだ。 したがって、このように知的好奇心以外にも様々な外的・内的要因によって自身の学習意欲ないしは行動決定が 支配されていることを、まずは学修者自身が認識するべきである。 そして、それらを理解した上で、どのように外的・内的要因を制御すれば、自身のアクティブな学習意欲が維持されるか ということを考え、自分自身を実験体にして制御方法を模索すればよい。

PBL

そして最後に後輩たちに伝えたいことは、問題解決学習 (Project Based Learning; PBL) を積極的にやりましょう ということだ。 なぜなら研究を含めた仕事は問題解決の連続だからだ。 問題解決は、具体的な行動を実行するためのハードスキルと、コミュニケーションやプロジェクト管理などの いわゆるソフトスキルというタイプのスキルが合わさりながら実行されていく。 どちらかと言えばハードスキルの方が専門的で、ソフトスキルの方が汎用的なので、特に日本の新卒就活では ソフトスキルを重視する比重が大きいと聞いたことがあるが、まあどちらも大事である。

それより問題なことは、大学が提供する伝統的な学習手法である講義では、このソフトスキルが養われることは あまりないという点である。 つまり、講義でアクティブラーニングをしていたとしても、問題解決に必要なハードスキルだけ向上し、 もう一方のソフトスキルが向上しないのでは、今後の問題解決に立ち向かうには力不足になってしまう。 したがって、そのようなソフトスキルを鍛える場が必要で、その良い学習手法の1つが PBL であるということである。

しかしながら、大学の教育カリキュラムではまだまだ PBL 科目は多くないのが現状であり、これは PBL の性質上、 教員数:学生数比率が高い必要があることが原因だと考えられる。 なので、少なくとも今すぐこの事態が改善される見込みはなさそうだ。 したがって、学生たちは自ら PBL をしなくてはならない。 方法はいたって簡単で、部活なりサークルなり友人同士なりで、自分達で問題を設定して解決すればいいのだ。 研究室やスタートアップ企業でのアルバイトや長期インターンもおすすめだ。 それは既にやっている人はやっている話で、これまでダラダラとなんだったんだと思われるかもしれないが、 とにかくここではアクティブラーニングの重要性を紐解きながら、現状の大学教育ではソフトスキルが不足しがち という話をしたかったわけだ。

先輩たちが出来ること

我々学生おじさんと大学職員が出来ることは、若く将来明るい学生たちの知的好奇心を刺激するような機会を提供し、 何よりも彼・彼女らの活動を邪魔せず助長してあげることである。 将来私は研究者になるのか会社員になるのかわからないが、安定してまとまった資金を確保できたら1つやりたいことは、 会社を立ち上げ学生たちを雇用し、彼らに PBL の機会を与えながら成長を見守ることである。

これからの大学生に伝えたいこと

大学で暴れまわってほしい1。 知的好奇心を開放し、つまらない授業は出なくていいので、興味のあるものに存分に取り組んでほしい。 自らの手で自分たちの未来を切り拓いているという感覚を忘れないでほしい。 これからどんどん優秀でぶっ飛んだ人材が生まれることを楽しみにしています。


  1. 人に迷惑をかけない範囲で。