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ランダムネスに流れを任せる - 極限宇宙第4回若手研究会、東京見聞録

執筆日: 25.07.06

極限宇宙第4回若手研究会 (website)

先日、極限宇宙第4回若手研究会に参加してきた。 愛知県の伊良湖村で開催されたこの研究会は、極限宇宙に参画している学生やポスドクたちが集まり、レクチャーや口頭発表を通じて交流する場であった。 今回は初めての世話人も務め、自身の研究や就活、メンターをしている学生を抱えながらの参加となり、個人的には疲れと癒しが混在した時間だった。

この若手研究会は私が修士1年のときに初めて開催された。 その後、定期的に開催されており、今回は4回目の参加となった。 最初は研究室から1人で参加していたが、徐々に後輩たちも参加するようになり、今回は研究室からは6人の学生と1人の助教が参加した。 周囲が海に囲まれた伊良湖の地で、夜一人で海を眺めながら、これまでの研究生活を振り返った。 本当に辛かったし、誰にも頼れない時期もあったし、何か1つでも取っ掛かりを見つけようと、こういう研究会や学会に1人で参加して、色んな人たちと話しヒントを得ながら、どうにかここまで来たのだなと感じた。

その過程で全てが合理的な選択ではなかった。 時には直感に従って行動し、結果的に良い方向に進んだこともあった。 逆に、合理的な選択をしたつもりが、結果的に悪い方向に進んでしまったこともある。 そして、合理性を捨て、ランダムな時流に身を任せてみることもあった。 この若手研究会も、私にとってはそういった場所であった。

今回の研究会での発見は、量子ホール系の理論モデルとしてよく使われている2次元トーラスに磁束量子を生やすような設定を、素粒子の方でやっている人がいるということ。 スピン液体の研究から、マグノンやスピノンといった面白い現象に繋がり、現在私が行っている実験系で光を使って量子ホールエッジにスピノンを注入できるかもしれないということ。 そして、そのような実験研究はまだまだ未開拓であるということ。

これらの発見は、私がこの研究会に期待したことではなかった。 しかし、こういった偶然の出会いが、研究の新たな方向性を示唆してくれることもある。 正直、この若手研究会は理論の人がほとんどで、実験研究をしている人はうちの研究室から参加した人間だけなので、参加する意義はほとんどないようにも思える。 まったくもって非合理のように思える。 しかし、ランダムネスに身を任せ、流れてきた偶然を拒絶せずに受け入れることで、想像力が豊かになり、新たな研究のアイデアが生まれることもある。 不完全でもいいので、とりあえず自分の研究を発表してみて、他人の意見を聞いてみることで、自分に何が足りなかったのかがわかる。

考えない

自戒の念を込めて、ここに思っていることを残しておきたい。 自分の能力を過信してはいけない。 自分が考えられる範囲は非常に狭く、特に未来に対する予想はほとんどの場合、現実にはならない。 現代の私たちは、自分の持つ KPI を最大化させたいと思いながら、考えて考えて行動している。 私もそのような人間の1人だと思う。

しかし、考えすぎることは、時に自分の可能性を狭めてしまう。 自分はこういう研究をしているから、こういう人と話すことしか意味がない。 自分の能力はこの程度だから、それ以上高望みしても無駄だ。 そういった考えの源泉は、自分の能力を自分が把握できているという過信から来る。

まだ知らない自分を知るためには、ランダムネスを受け入れると良い。 これは合理性の檻に閉じ込められた自分を開放し、自分に対して未知の相互作用を与え、それを観測する機会を与える。 合理的に考え抜いて導かれた行動決定の結果は、自分が既に体験したり想像したりすることが出来る範囲内の相互作用しかもたらさない。 はっきり言って、実験的に面白くない1。 あんまり考えずに、偶然訪れた機会に身を任せながら、時に重要な合理的な決断を下す程度が、私にとってはちょうど良いバランスなのかもしれない。 少なくとも、そう生きていると肩身が狭いとは感じない。

キャッチボールと母校訪問

研究会から戻った次の日、私は地元の友人とキャッチボールをした。 外気温は7月初旬なのに30℃を超える気が滅入るような暑さだったが、思い付きに身を任せてキャッチボールをした。 懐かしい荒川の土手だった。 中学生時代、月火水木金土日、毎日通った道を何年振りかに自転車で走り、毎朝ランニングをしていた土手にたどり着いた。 道中の街並みはそこまで変わっていなかったが、私たちが青春を過ごした廃校の体育館は、きれいな老人ホームに変わっていたし、練習終わりに少ない小銭で腹を満たしたまいばすけっとを見つけることは出来なかった。

私は乾ききったキャッチャーミットで友人のボールを受け止めた。 キャッチボールは、一般に知られていないコミュニケーションツールの一つだ。 キャッチボールの間で、最近のお互いの近況を話し合い、将来への不安を励ましあう。 猛暑の中、1時間のボールのやり取りであったが、何か心が洗われるような時間だった。

土手から母校までは自転車で5分ほどの距離だった。 私も自分が寄付に参加した母校の新校舎が気になり、5年ぶりに母校を訪れた。 入口には僕らがよじ登った廃れた校門はなくなっており、これまでなかった清潔感のある駐車場が整備されていた。 各教室には私たちが30人で取り合っていた扇風機はなく、新しいエアコンが学生たちに快適な学習環境を提供していた。 私たちが何万回とボールを当てたバスケットボールのリングは、今は後者の屋上に設置されていた。 何もかもが違う、でも当時の面影を残す母校は、既に旅立った私に力を与えてくれたと思う。

東京

今朝、実家のバルコニーから東京の景色を見渡した。 私が小学生の頃に完成したスカイツリーや、くねくね曲がっている首都高、数100 m おきに荒川に架かる橋とその上を走る自動車や自転車を見ながら、ふとこの街をより良いものにしたいと思った。 歳を取ったのだなと思った。

今やるべきこと、やりたいことは手を付けられないほど多い。 新しい研究、論文執筆、後輩の研究支援、留学生の研究指導、インターン、アルバイトで開発した SaaS の改修、etc. 私を育ててくれた組織に出来る限り還元していく、その先に新たな未来があることを願っている。


  1. もちろんこれは私の主観である。