研究から離れて感じることができること
執筆日: 25.09.02
研究から離れて感じること
こういうところで結論から話すことはあんまり好きではないが、あえて結論から述べるのであれば、研究をしていない今、自分の心の中から何かがすっぽりと抜け落ちたような感覚がある。
これは、自分が研究が好きだからなのか、自分の今の主軸が研究にあるだけであって、今後その主軸が別のものに入れ替われば、それに没頭することになるのかはわからない。 しかし、少し距離を置くことで見えてくるものは確実にあって、このような体験が出来ていることは肯定的に捉えるべきであろうと思う。
最近やっていること
インターンに参加していた。 8 ~ 9月は集中的な日程で開催されるインターンに複数企業参加しており、現在は3社目のインターン中だ。
それぞれのインターン自体は楽しく参加させてもらっていて、普段話さない異なるスキーマを持った人たちを話すことは、自分に新たな視点をもたらすという点で非常に有意義だと感じている。 加えて、仕事自体も非常に面白く、AI 活用企業、世界最大シェアのイメージングセンサー開発企業、成長中の SaaS 企業と、バラエティーに富んでおり、企業規模や企業文化も全然違うので、ジョインするたびに既視感がなく、新鮮な気持ちで仕事に取り組めている。
インターン前はインターンに参加しながらであっても研究が出来ると思っていたが、どうもそういう余裕はあまりない。 出来たとしても、インターン後の空いた時間で、残されたわずかな脳内リソースを振り絞って、Slack やメールに対応するくらいだ。 実際のインターンの日程的にはそこまでカツカツなわけではないはずだが、いざ自分い責任が生じると、決められた時間以上にそこに時間をベットしてしまうのは、昔からの性分のせいである。
そういうわけで、最近は常にフラストレーションが溜まっている。 その反動というわけではないが、1回目のインターンが終わった後は、お盆休みを返上して、クライオスタットの立ち上げから、ウェハー評価用試料のプロセス、測定までをほぼ毎日徹夜で行う日々だった。 こういう頭のおかしな生活をしている自分にも飽き飽きしているが、別の視点から見てみれば、こういう生活をしている自分が好きなのかもしれない。
インターンで学んでいること
ずっと前からそう思っていたが、学生は皆インターンに行くべきだと思う。 大半の大学が職業訓練校である現在では、そうあって然るべきだし、研究者を志す学生たちもインターンに行くことを個人的には推奨したい。
そう思う最大の理由は、組織の一員として働くとはどういうことかを体験できるからだ。 人間が1人で出来ることは限られていて、大抵の場合は組織に属してその一員として活動することになる。 これは研究者であっても同じだ。 その組織生活の中で、自身の効用を高めると共に、組織全体の効用を高めていくことで、組織と個人が発展していく。 組織の効用が個人の効用の総和であるかどうかは組織によるが、大雑把に言って、個人の効用の向上は組織の効用の向上であり、組織の効用の向上は個人の効用の向上に繋がる。 そういった背景を踏まえた上で、自身の行動の意思決定を行うことが重要だと思う。
個人的にインターンに参加したい理由は、誰もが知る大企業や、成長中のベンチャー企業では、どのように組織が運営されているのかを知りたいからだ。 実際に企業の一員として生活することによって、その中の個人の価値観や現在の自分の生活の満足度を知ることができ、組織の効用最大化と個人の効用最大化の間の関係を垣間見ることができる。 そしてその生活の中で、いかにして組織と個人の効用の同時最適化が図られているのか、もしくは図られていないのであればその原因は何か、といった新たな疑問を得ることができるわけである。
これは中学生の頃からずっと思っていることだが、組織もまた生き物のようなものである。 組織はそこに属する個人に影響されるし、個人もまた属した組織に影響される。 各個人は身体を持っていて、それによって独立したものと考えがちだが、個人的にはそこに重きを置きすぎると、問題の本質を見失う気がしている。 まだ自分でもきちんとした解が得られているわけではなく、偉そうなことは言えないが、大学という個人間の結びつきが希薄な組織から少し飛び出して、いつもとは違う個人間の結びつきが強い組織に身を置いてみることで、自身がいま属している組織の在り方について再考する機会が得られるのではないかと思う。 これもまた研究から離れることによって感じることができる部分であろう。
今後の新たな挑戦
研究から一時的に離れているとは言え、少なくとも卒業するまでは自分の研究生活は続く。 インターンで得た経験は決して研究生活だけから得られなかったと思われるものばかりで、1日1日自身の研究室で還元しうるアイデアが浮かんでくる喜びがある。 その還元が最終的にどれほどの価値をもたらすかを完全に予想することは出来ないが、成功であれ失敗であれ、1人の実験家として、それを実行に移さないわけにはいかないだろう。