回顧 - 私の物理観の変遷
執筆日: 25.10.12
私の物理観の変遷
Note
この文は2021年9月24日に当時所属していた奨学会のレポートとして執筆したものです。
「私は大学で物理学を専攻しています」。 こう知人に話すと、大多数の人は「へ~」と息を吐きつつ、ばつの悪そうな顔をする。 この例のように、多くの人は物理に対してある種の「反発力」を感じていたようだが、なぜか私は幼い頃から物理に対しては打って変わって「引力」を感じていた。 そして3年前の春、私はいま通う大学の物理学科に引かれるように入学することとなった。
大学1年生のころ「物理学D」という授業があった。 この授業は物理学、特に力学と電磁気学を学ぶのに必要な数学についての授業であり、これは高校生が習う物理学と大学生が習う物理学の数学的なギャップを埋めるために設けられた授業であった。 この授業はその内容自体も非常に有意義なものだったが、担当する教授の一言一言が非常に洗練されていたことを覚えている。 担当していた教授は「なぜ万有引力は距離の1乗ではなく2乗に反比例しなくてはならないのか」など、そのときまで考えたこともなかったことを当然のように話していたと思えば、学生の成績の時間変化(つまり、1年から4年になるにつれてどのように学生の成績が変化していくか)を表す数式を考案してみせたりしていた。 そのような現役の物理学者の物事に対する深い洞察力を間近で見ながら、高校時代の「ただ与えられたものを記憶して計算する物理学」は私の頭の中から徐々に消え去った。 そして物理学にとって数学というものは、自然を記述するための道具であり、物理というものは数学を使って自然を表現するものであるという物理観を持つようになった。ここで「表現」というのが重要で、その表現方法は物理学者の自然に対する深い洞察力から生まれるものである。
1年の大学生活を経て垢抜けた2年生になったころ、今度は「物理学の最前線」という授業に出会った。 この授業は毎週担当する教授が入れ替わりながら、それぞれの研究内容の紹介に近い内容の講義を行い、課されたレポートを提出するというものであった。そのレポートの1つに「物理学を定義し、物理学を学ぶ意義を論ぜよ」というものがあった(奇しくもこのレポートを課したのは物理学Dの担当教員の例の教授であった)。 私は他のレポートには見向きもせず、このレポートに一生懸命向き合っていた。 そして、1年生のときに培った物理観をもとに、集合論的な観点から物理学を定義した。 すなわち、ある自然現象全体の集合Nを数学的表現の集合Dにマッピングする写像(簡単に言えば対応関係)が存在すると仮定し、そのDに十分な精度で一致する集合D’ が物理学理論であり、そのD’を探求するのが物理学という学問であると定義した。 この定義自体はそもそもNやDの性質が曖昧であるため、当然十分な定義ではないのだが、この定義にはこのレポート課題に取り組む際の私の物理観が大きく2点反映されている。 まずは、自然現象Nに対応する数学的表現Dが存在することを仮定したことである。 この仮定には1年の頃に培った「物理は数学を使って自然を表現する」という物理観が反映されている。 次に、物理学理論をその数学的表現Dではなく、Dに十分な精度で一致する集合D’とした点である。 これは物理学の理論というのは自然現象を100%説明することは出来ないが、誤差が許容できる範囲で小さければ良いという主張を反映したものである。 実際、ニュートンの力学の理論は一般相対性理論や量子力学の登場によって完全な理論ではないことが知られるようになったが、実際に生活する上ではニュートンの理論で十分なことが多く、工学の分野ではニュートンの理論がそのまま応用されている場合も多い。 これはつまり自然現象を観察する際のスケールの問題である。 我々にとってはそよ風は無視できるほど小さな力かもしれないが、同じ風でも小さなアリにとっては大きな力かもしれない。 つまり、そよ風が吹く環境において人間の運動は風がない場合と同じとして近似しても問題がなさそうだが、アリの運動はそのような近似は問題をもたらしそうである。 したがって対象のスケールが違えば、実験を説明する物理の理論も異なってくるのであり、2年生のときはそのスケールの重要性が私の物理観に加わった。
3年生のころにはセミナーの授業が行われた。 セミナーには色々なテーマがあったが、私は「量子情報理論」というテーマを選んだ。 このセミナーでは教授が当時執筆中の本を輪講していく形式で行われると紹介されており、以前から興味があった量子情報について著者本人の解説を受けられることに目を付け、私はそのテーマに飛びついたのである。 実際にセミナーが始まると内容は非常に難しく、数ページを理解するのに何時間(下手すると数日)もかかるものであったが、その中でも興味深かったのが実験結果と整合するいくつかの仮定だけから量子力学が構成されていく様子が本の中で描かれていることであった。 通常の量子力学の本では、波動関数や状態ベクトルといわれるようなものが訳もわからないまま導入され、訳のわからないまま計算が行われていくのが一般的であるが、そのセミナーで輪講した本では実験結果に整合する仮定をいくつか設けることによって、最終的に実験結果をよく説明できる数学的表現として量子力学という理論体系が出来上がるという構成であった。 私はその本を読みながら、一人の物理学者の頭の中を覗けたような気がして感動を覚えたことを記憶している。 このような本の構成は当時の私の物理観と一致するものであったものの、理論の勉強をしながら「物理学は実験科学である」ということを痛烈に実感したことが印象的であった。
4年生になると、私はとある研究室に配属になった。 かねてから興味があり、セミナーも受けた量子情報の分野に実験的な側面から取り組むために、量子ダイナミクスという研究グループを希望して配属になった。 そして自身の研究テーマも決まり、次第に研究に取り組むようになり、先行研究を学ぶために論文を読むようにもなった。 私の研究は、半導体デバイス中に作成した2次元電子系という系が舞台となる。 かみ砕いて言えば、私たちのまわりの自然現象は一般には(時間を無視して)3次元の空間上で起こっているとして理解されているが、半導体中の非常に狭い領域に電子を閉じ込めてあげることによって、電子が鉛直方向にはほとんど動けないが水平方向には動けるような状況を作れて、そのような環境のことを2次元電子系と呼んでいるのである。 この系を極低温・強磁場(絶対零度より+0.01~4℃高い程度の温度と5Tを超える磁場)におくと非常に面白い現象がたくさん現れ、エッジチャネルと呼ばれる試料端に抵抗ゼロの1次元のある種の「道」のようなものが出来たり、トポロジカル量子コンピュータに応用できるのではないかと期待されているエニオンという変わった統計性を持つ粒子が現れたりする。 このような非常に面白い分野ではあると同時に、(他の分野でもそうかもしれないが)わかっていないことも多い分野でもある。 そして論文を読んでいると一見訳のわからない仮定が出てくることもあり、時間が経てば納得できるようなものもあるが、中々腑に落ちないまま時間だけが過ぎていくことも多々ある。 実際に論文を読んでいるときは、理解しようとむきになって視野が狭くなりがちであるが、一旦俯瞰して見てみると、あらゆる物理学の理論は実験に基づく仮定(しばしば要請という)の下で成り立っていることに気づかされる。 その仮定がどれだけ奇妙でも、それが自然を上手く説明しているならそれでいいのである。 たとえ偉大なアインシュタインが量子力学の(今では量子コンピュータの根幹をなしている)エンタングルメントを「不気味な遠隔作用」として批判したとしても、自然がそうなっているのならそれを認めざるを得ない。
最近は論文をひたすら検索しながら過ごす日も多いが、理論は実験結果を良い精度で説明することが出来る非常に凝縮された計算エンジンのようなものだと感じることがある。 現代では「ググる」という言葉があるように何でも検索が可能な時代になっているが、物理では理論があれば実際の自然現象の結果を実験せずに知ることが出来るのである。 そして物理学者の中で理論家と呼ばれる人たちはそのような便利ツールを作ることにいそしんでおり、実験家と呼ばれる人たちはその便利ツールに不備がないか調べたり、自然から実験値という情報を抽出して、まだ我々の持っていない情報を探したりすることに誠意を燃やしている。 少年時代は憧れの対象として捉えていた物理学の研究は、実際に研究する立場になると一変してこのように泥臭く地味な作業だなと感じることも多々あるが、ガリレオが切り拓いたと言われる実験科学としての物理学が、数百年もの月日の中で実験結果が理論によってまとめられ、後世においても文明や社会の発達に寄与しているのだなと思うと、私がこれから突き進めようとしているものはそれに比べ微々たるものではあるものの、そのような先人たちが培った土台の上に新たな土を盛っているということに非常に感慨深いものがある。
その続き
当時を振り返ると、「物理学D」は物理を学ぼうとする青二才達にとって、心高ぶる授業であった。 黒板には自由があり、担当教員であった石川洋先生の言葉には物理観というものがあった。 これまでの大学生活を振り返ると、正直物理学の理論という知識を学ぶためには、大学の授業に足繫く通う必要はなかったかもしれない。 もし通う理由があったとしたら、それは教員たちの言葉や態度から物理観、すなわち彼ら彼女らの自然との向き合い方を学ぶことであったと思う。
上の文で書かれていた物理学の変遷には続きがある。 大学院に進学して研究をするようになってから、物理は私の自己表現の1つになった。 実験は自然との対話であり、自己と自然の調和であると感じるようになった。
インターンとして1年間研究室に留学してきたフランス出身の学生と、導入されたばかりの希釈冷凍機の立ち上げ作業を行っていたときの会話は、今でも印象深く覚えている。 彼は私が行う1つ1つの操作手順に興味を持ち、なぜそのような操作を行うのか質問してきた。 私は彼が納得いくように説明しようと努めたが、なかなかうまく説明できないこともあった。 そのようなときに私は「○○な気がするよね?」と、感覚に訴えるような問いかけをしたところ、彼は微笑して非論理的で自分にはそのような感覚はないと答えた。 それ以上説明のしようがなかった私は、「考えるな、感じろ」とどこかで聞いたことがあるような言葉を返した。
彼の指摘はもっともであり、先輩として恥ずべき言動だったと思う。 しかしながら、実に奇妙なことに、自分の頭の中に言語的な論理性が揃っていなかったとしても、時に感覚的に「これが正しい」と感じることがあり、実際にそれが正しかったことも少なくない。 これは自分だけでなく、他の教員などの直観についても同様である。 客観性を追求する学問として、客観性に欠ける行為は排除されるべきであることを重々承知していながらも、こういうことが起こることは本当に興味深い。
ではなぜこのような現象が起こるのかを考えたときに、詰まるところ、私の思考回路が実際の自然をなぞるように最適化されていった結果なのではないかと思うようになった。 つまり、多種多様な自然現象のインプットとアウトプットを感覚器官を通して脳に入力することによって、脳内に自然現象を模倣したモデルが形成され、そのモデルを使って思考を行うことによって、自然現象に対して最適化された思考回路が形成されていったのではないか、ということである。 まさに機械学習的な発想ではあるが、このような行為こそが自然との対話であり、思考回路の形成は自然との調和であると感じるようになった。 さらには、自分の思考に基づき行動し、それが研究という形で外に出るのであれば、それはすなわち自己表現であると思うようになった。
ずっと見つめていればわかることがある。 このようなことを言う物理学者は結構いる。 私はこの言葉が好きだ。 自然を受け入れ、脳に馴染ませろと言われている気がする。