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インターン旅行で感じた資本主義的コミュニタリアニズム

執筆日: 2026.01.08

昨年の目標

ここ(リンク)でも述べたように、私の昨年の目標は、博士課程修了後の進路を決めるということであった。 これは一口に言っても、そうたやすいことではないことは承知であった。 自分にとって博士課程進学は高校3年生から決めていたことであり、その第一の目的は、自分が研究者としての才があるかどうかを、自分自身で見極めることであった。 したがって、その才があるかどうかを見極める行為なくして、進路を決めることが出来ないわけであるが、世の中は私の存在など目もくれず、2027年卒の新卒採用活動は目の前に迫っていたわけである。

研究をしながら気づいたこと

私は大学院に進学してからしばらくの間、あらゆることを犠牲にしながら研究をしてきたと思う。 それまで熱中していたプログラミングも中断し、人付き合いや外界とのコミュニケーションも抑え、時には健康も犠牲にして、人生の最大の理解者とも別れを告げながら、人生の岐路で決断した自分との約束に向き合ってきたと思う。 その捨象の過程で、私が気づいたことは、自分にとって研究とは自己から湧き出る好奇心に従順になる行為そのものであるということである。

その気づきは、研究が手段ではなく生活になることを意味していた。 すなわち、私にとって研究は、目的を実現するための行為でなく、内発的な欲求に純粋に従う行為であり、それは人がご飯を食べ、眠ることと同じように、私の生活の一部になっているということである。 このことは、私が約10年前に想像していた研究者像とは大きく異なっており、狭義の研究者という定義からの解放であった。 私にとって重要だったことは、研究者としての肩書きや立場ではなく、自己の内発的な欲求1に従う行為そのものであった。

はじめての就職活動

そんなこんなで私の研究フィールド探しとしての就職活動が始まった。 研究者としてやるべきことは、まずは文献を洗い出し、そこから共通項を見出したうえで、その知識を体系化することからであろう。 そこで私は数々のネット記事や動画を漁りながら、それを1つのドキュメントとして整理し、研究室専用サイトにアップロードした(得られた知見を共有することも立派な研究活動の一部である)。 その過程で、最近は就職活動の早期化が進んでおり、その早期化の波に乗る企業は、人材をいち早く確保するために、卒業前年度の夏に大規模なインターンシップを開催するということを知った。

私はまず採用活動を行う人事の方々の思考を学ぶために、少しでも興味がある企業が開催するインターンシップに、業界問わず少しずつ応募してみることにした。 その結果、本気度が感じられず、明らかに専門性から外れる内容のインターンシップについては、軒並み選考に通ることはなく、やはりきちんとしたフィルタリングが働いていると感じた。 結果的に、IT 系とメーカーの研究職という2つの分野に絞ってインターンシップを探すことで、それなりの企業から受け入れを得ることが出来たため、この実験的取り組みから得られた経験則は、それなりに確かなものだったと思う。

旅行者としてのインターン

私は結局、実務を行うインターンに計4社参加した。 もちろん、企業サイドとしては採用活動の一環として、私を含めたインターン生の実務能力を測る場を設けていたわけであるが、私としては自分の研究フィールド探しでありながら、ここ数年間の研究生活から離れて、異なる文化圏に飛び込み、そこでの生活を体験する旅人としての側面も強かったように思う。 そこでは私とは大きく異なる価値観や経験を持つ同じインターン生にも出会い、彼ら彼女らと交流することで、この世界の広さや同世代の方々の考えや価値基準を学び、自らの視野を広げることが出来た。 このような経験は、決して山に籠って研究活動をしていただけでは得られなかったものであったと思う。 一昨年の年初にタクシー運転手の方から受けた「若い人はもっと海外に行った方がいいよ」という神のお告げに従い、3週間ほど海外に行く時間を作ったことがあったが、インターンで得られた体験はそれに近いところがあった。

実際このことは初めから予期していたことでもあった。 私はインターンでの業務だけでなく、その企業の文化やその文化が形成された歴史的背景に興味を知るために、業務時間外や空いている時間に関連する社内文書を読み漁った(もちろん許可されている範囲で)。 その主な目的は、研究室などの自分が属するコミュニティづくりの参考にすることであり、最近の個人的テーマである、持続可能な形で成長する組織とは何か、という問いに対するヒントを得ることであった。

資本主義的コミュニタリアニズム

私がインターンを通じて発見したことは、資本主義的コミュニタリアニズムの存在である。 資本主義経済において、1つの企業体はミクロやメゾスコピックな経済共同体であるが、そのようなミクロ・メゾ共同体においては、コミュニタリアニズム精神が残っているどころか、先進的な取り組みがなされていると予想していた IT 企業では、むしろコミュニタリアニズム的取り組みを推進していると感じられたことが、私がインターンに参加して最も良い学びとなったものの1つである。

そのことを色濃く感じたのは、インターン後のフィードバックや面接での会話だった。 私は全てのインターンにおいて技術的なインパクトを残せたわけではなかった。 特に個人的全盛期が数年前であった IT 企業でのインターンでは、私の技術的貢献は限定的であり、むしろチームメンバーの技術的貢献に支えられながら、プロジェクトを前進させることが出来たに過ぎない。 そんな開発生産性において合理的ではない私に対しても、その価値を見出してくれた部分が、他者貢献指向が強い点であった。

私が研究室での環境づくりをしてきた経験と照らし合わせて考えると、彼らの採用合理性は主に以下の2点にあると思う。

  1. メンバーの個人最適化に終始せず、チーム全体の最適化に寄与するかどうか
  2. 短期的な技術的貢献度合いよりも、長期的で持続可能な成長可能性に寄与するかどうか

これらの2点は、新自由主義とグローバリゼーションの波に晒され続ける現代社会において、コミュニティの重要性が再認識されていることを反映していると思う。 このような発見は、この資本主義的自由経済における資本最大化の最適化の一環として、その自由経済を行い企業体に形成されるコミュニティ内の個々人の生産性が、そのコミュニティの属性そのものに大きく依存していることが認識され始めていることを示している。 そのようなコミュニティや地元性、家族性といった属性は、私の次なるテーマとして、今後の生活の中で深掘りしていきたい。

コミュニティにおけるゲームルール

私たちの経済活動は、自由競争をベースに、その上に法律というルールが課されたゲーム上のプレイヤー行動として捉えることが出来ると思われる。 その経済主体は個人でもありコミュニティを形成するような企業や団体でもあり、それぞれの経済主体がプレイヤーとして活動している。 その経済主体のダイナミクスを解析する上では、上記ゲームルールに準拠した効用最大化の原理が働いていると予想されるわけだが、インターンを通して改めて重要だと感じた点は、(これは全く当たり前のことであることなのだが)コミュニティによってゲームルールが上書きされることが普通に起きているということである。

そして、ゲームルールは経済主体の効用関数を特徴づけるわけなので、コミュニティがいわゆるコミュニズム的性質を持つのであれば、そのコミュニティを1つの経済主体だと捉えるマクロな視点では資本主義的経済活動が行われていたとしても、もう1つミクロな視点に立てば、コミュニティの中ではコミュニタリアニズム的な効用最大化に基づくダイナミクスが発生していることは、十分にあり得ることである。 これは系のダイナミクスを解析する場合に、その系のスケールに合った視点を持つことが重要であるということであり、物理を考える際には当然のように行われていることが、経済活動でも同様に重要であることを身をもって感じられた。

一点、自分が組織のゲームルールを設計する上で常に意識すべきだと感じたことは、この階層的なゲームルールにおいて、下層(つまりよりミクロなコミュニティ)のゲームルールは、上層(よりマクロなコミュニティ)の効用関数の上昇を促進するように設計されるべきである、ということである。 これが結構難しくて、例えば出社すればポイントが貯まるような仕組みを作ってしまうと、出社すること自体が目的化してしまい、本来の業務効率化という上層の効用関数を阻害してしまう可能性があったり、そもそもポイントによって効用が得られる人がコミュニティに占める割合によっても、この仕組みの有効性は大きく変わってしまう。 この個体依存性は、ゲームルールはコミュニティに属する全ての個体にとって共通の効用応答が得られるようなものに限る方が無難であることを示しており、逆に画一的な個体を集めることによって効用応答の単純化を図ることが出来る可能性も含んでいる。 まあとにかく、多体系の問題は一筋縄ではいかないわけで、このあたりは具体的な数式化も視野に入れつつ、今後も考えていきたい。

旅を終えて

まず初めに浮かび上がるのは感謝の感情で、行った先々で出会った皆さんは本当に親切かつ寛大で、おかげさまで精神的な圧迫感をそこまで感じずにインターンを終えることが出来た(逆にもう少し感じた方がいいのではないかとすら思ったが)。 自分の専門に本当に近い業務というものはなかったが(というかおそらくほとんど存在しない)、IT 企業のインターンで体感したアジャイル的な開発手法を、メーカーでの研究業務に応用することなど、専門知識以外のレイヤーにおける学びと応用性については得るものが大きかったように思う。

そういったテクニカルな部分での学びがあったと同時に、人間や社会構造についての学びが得られたことも、今回のインターンでの重要な収穫物の1つで、これは単に研究していただけでは得ることが難しかったものだっただろう。 特に、上述した階層的ゲームルールの観点では、例えば国単位のマクロな系を考えた場合は、国会議員のような政治家がゲームルールの設計者であるが、そのもっと階層である企業や研究室内部のコミュニティにおいては、自分自身も同じくゲームルールになり得ることを改めて認識した。 そういう意味では、教育課程の制度設計上、各々専門性を持つように教育されている我々であるが、ゲームルールを設計する上では政治学や法学、経済学で築かれた知見が役立つわけであり、人が生活する上ではあらゆるものは繋がっていることも再認識した。 文字に起こしておきたいことはまだまだあるので、時系列は行ったり来たりするかもしれないが、今後も少しずつ吐き出していきたいと思う。


  1. この内発的知的好奇心のことを、就職面接では「ワクワク感」という言葉で説明していた。