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探偵ガリレオの思い出

執筆日: 26.07.30

先日、作家の東野圭吾さんが亡くなったニュースを目にし、しばらく実験室の天井を見上げてしまった。

東野圭吾さんのガリレオシリーズは、私にとって特別な作品だった。 初めてガリレオシリーズに触れたのは、ドラマ「ガリレオ」だったと記憶している。 007 を彷彿とさせるオープニングのテーマ曲と、福山雅治さん演じる湯川学と柴咲コウさん演じる内海薫の、物理オタクとちょっと感情的な刑事の掛け合いは、小学生だった私の好奇心を惹きつけるには、十分すぎる魅力を持っていた。 その頃から、物理学者と言われれば白衣を着た湯川学の姿が思い浮かぶほど、このドラマは私の中に物理学という言葉を植え付けてくれた存在だった1

その後、しばらくしてその原作小説があるということを知った。 当時引っ越した実家の近くのイオンモールの本屋にたまに散歩に行くのが好きだった私は、偶然あのときのドラマの原作小説と思われる文庫本と、その後続のシリーズが並んでいる光景を目にしたわけである。 そして、そのとき初めて、東野圭吾という作家の名前を知った2。 また、あの面白かったドラマの世界に浸りたいと思った私は、PUMA のペリペリ財布の中から小銭をかき集め、おそらく初めてドラマの原作小説というものを購入した。

小遣いという小学生にとっての痛みを対価に手に入れた小説であったためか、小学5年生だったか6年生だったかの私は、「探偵ガリレオ」にえらく夢中になった。 1時間弱かかっていた部活の行き帰りのバスや電車の中でも読んでいたし、今では考えられないが、湯船につかりながらも読んでいた。 それゆえ、湿度100%の風呂場でしっかりと水蒸気を吸いこんだ「探偵ガリレオ」は、すっかりとガチガチの紙の質感になってしまい、当時の私はその不可逆なお気に入りの変化に失望したものである。

今となって思うのは、ドラマ「ガリレオ」を見ていたからこそ、まだ読解力の十分でない小学生の私でも、原作小説を楽しむことができたのだろうということである。 この小説を読むときは、いつも白衣を着た湯川学の姿を思い浮かべていたし、ドラマの中で流れる奇妙な音楽も、節目節目で空耳のように頭の中で流れていた。 小説では相棒役は内海薫ではなく、帝都大学の同期だった草薙俊平であったため、ドラマで草薙役を演じた北村一輝さんを思い浮かべることはあったが、こうなると同じく好きなドラマだった「相棒」のように、少し月9感は薄れてしまうなと、幼いながらに思ったことを覚えている。

「探偵ガリレオ」を読んだ後は、「予知夢」に進み、そして「容疑者Xの献身」にも挑戦した3。 「容疑者Xの献身」については映像よりも小説を読むのが先になったが、当時の私には長編小説を読むのが少し大変だった。 しかしその後、映画「容疑者Xの献身」がテレビ放映されたときに、小説と映画とではここまで感じ方が違うのかと驚いたことを覚えている。 それでもどちらの作品も素晴らしく、物理学者も数学者も「かっこいい」と思わせてくれた作品だった。

中学1年生になると、当時の担任の先生は、自分が持っている小説を自分の机の引き出しに保管していて、もし希望者がいれば生徒に貸し出してくれるという独自システムを持っていた。 先生の机の引き出しを開けてそのラインナップを見たとき、見覚えのあるこれまでのガリレオシリーズの文庫本たちと一緒に、「ガリレオの苦悩」というまだ読んでいなかった作品も一緒に並んでいることに気付いた。 もちろん、間髪入れずにその小説を借りて読み込んだ。 授業中に読んでいたことが発覚し、もう貸してもらえないという危機に陥りながらも、なんとか頼み込んで読ませてもらったものである(先生、その節はすみません)。 学年が上がり担任は変わっても、その後続である「聖女の救済」や「真夏の方程式」などは、その先生の引き出しから借りて読んだ。 入口はドラマから入り、小説へと移っていったが、この当時に関しては小説を読んでからドラマや映画を見るという流れになっており、それもそれで良いものだなと思った記憶があるが、どうしても時間に制約のあるドラマや映画では、原作小説の面白さを十分に表現しきれない部分があるため、自分の心の中でもいわゆる原作至上主義的な感情が芽生える体験を初めてしたのもこの頃だったように思う。

実はここから高校進学以降、長らくガリレオシリーズから離れる時間が続いた。 部活で疲れていて通学中の電車の中では基本的に寝ていたし、スマホを手にした影響も大いにあったと思う。 そうであっても、私を物理学科の道にいざなってくれた大きな要因の1つに、ガリレオシリーズの存在は間違いなくあったと思う。 もちろん進路を決める過程で、実際の物理学の歴史や決定的な仕事をした偉大な物理学者の伝記なども読んで刺激を受けたこともあったが、まずそもそもそういったものについて興味を持つきっかけであったのは、東野圭吾さんのガリレオシリーズがあったからこそだと思われる。 そしてなにより、幼い私の中に、物理学者という職業に対する憧れを植え付けてくれたのは、紛れもなくガリレオシリーズだった。

そんなこんなで物理学科に進学し、大学院生として研究室生活を始めていた私は、偶然どこかの広告でガリレオシリーズの新しい映画が公開されることを知った。 それが「沈黙のパレード」だった。 それまで1人で映画館に行ったことはなかったが、こればっかりは必ず見たいと思い、レイトショーの枠で見ることにした。 映画そのものも面白かったが、あの最初に見たドラマから15年も経って、初めはブラウン管テレビの前で見ていた小学生の自分が、今では物理の大学院生として映画館でその続編を見ているという事実に、なんとも言えない感慨深さを覚えた。 そして最後のクレジットにうちの大学の名前が出てきていたのを見て、自分もあの昔憧れた物理学者に、少しは近づけたのかなと、勝手に思ったりもした。

もちろん作品と現実は違う。 福山雅治のようなマスクの物理学者は見たことがないし、刑事がキャンパス中を歩き回ることもない。 現実の大半の物理学者の日常は、もっと地味でもっと泥臭いかもしれない。 しかし、今となって言えることは、現実の物理学の研究が目指すものは、もっともっと壮大でエキサイティングだ。 「探偵ガリレオ」によって導かれ、いまここにいるからこそ、その広大に広がる物理学の世界を感じることができているのだと思う。 東野圭吾さん、素敵な作品をありがとうございました。


  1. 実際の物理学者は白衣など着ないし、服装に関して極めて寛容な人たちの集まりだということに気付いたのは、もう少し後のことだった。 

  2. 物心ついたころから巨人ファンだった私にとって、「東野」という苗字は、当時の中継ぎピッチャーだった東野峻選手の読み方である「とうの」が最も馴染み深く、初めは「とうのけいご」さんだと認識していた。 

  3. 「容疑者Xの献身」のタイトルにおける X のフォントが、ギリシャ文字の \(\chi\) に近い書き方であったことから、高3くらいまで x を \(\chi\) のように書いていた。その後、\(\chi\) というギリシャ文字が存在することを知って、「)(」のような書き方に改めた。