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10億円と万物の理論、どちらを選ぶ? - ある日の進学ガイダンスにて

執筆日: 26.08.30

何かの発表を用意するとき、過去に作ったスライドを色々掘り起こしてみると、こんなことも発表していたなと思い出すことが多々ある。 大抵は学会での発表なので、割と遊び心を押し殺して作っていることが多いのだが、昨年11月に学内で開かれた修士学生向けの博士課程進学ガイダンスでは、何の学術的根拠もないまま、半ば思考実験のような話を好き勝手にしていたようだ。

注意

ここで公開する内容は、あくまで私が個人的に思ったことをまとめたものであり、所属組織を代表するものではありません。

私の経験上、○○ガイダンスというものを真面目に聞いている学生は、参加している学生の中でほんの一握りである(そもそも参加していない学生も多数いる)。 そんな中でも、この話に貴重な注意力を投資してくれた学生諸君に感謝すると共に、先生方の日常的な感情的消耗は計り知れないと実感した。

実は発表の前に過去の発表者の方のスライドを参考としていただいていたのだが、どうしても内容を既定路線から外したい悪い癖が出てしまった。 しかし、研究の話を敢えてしないことの一定の合理性もあって、自分の研究の話をしたって、そもそも学会ですら専門が少しでも異なれば伝えるのは難しい。 しかも、自分の研究室の後輩に話すならまだしも、他の全く環境の違う人たちに自分の環境の話をしたところで、大抵の人たちはそのまま同じ研究室で D 進するのだから、彼ら・彼女らの進学に直接的に参考になる話は出来ないと予想していた。 というわけで、初めから参考になる話は特に出来ないと割り切って、メッセージを届けたい聴衆のターゲットを「いままさに博士課程に進もうか本気で悩んでいるけど、一歩踏み込んだ決断がなかなか出来ない人」に絞り、そういう時に自分はどのように決定しているかの話をすることにした。

ただ、実際発表を始めたときは、どれだけの人が失望するのかということが内心不安でたまらなかった。 しかし発表をしながら聴衆の反応を見てみると、割とラフに話に聞き入ってくれていた人もいて、特に「10億円」と「万物の理論が理解できる本」のどちらを選ぶかという質問をしたときには、安定の無反応の会場の中でも、ニヤリと笑みを浮かべて聞いてくれている人がいて、それだけでもこの話をした甲斐があったと感じた。 また、ちょうど自分が企業でのインターン参加中だったこともあって、結構熱心に就活のことを質問してくれた学生もいて、時間の関係上、そういう話は割愛してしまったのが少し勿体なかったと反省。

発表全体の結論は、自分の人生は自分で決めろということであり、元も子もない。 しかしそれと同時に、肉体を常に所有していると思っている自分自身であっても、しばしば自分のことがわからないこともあるとも思う。 そんな中で、何かの選択に迫られたときときに我々はなぜ迷うのか、そもそも人生の選択の連続の中で、自分たちはどのように行動決定しているのか、その決定された行動をベースに自分自身の心理を逆推定出来ないか、そのような問いと方法論を実験物理学をやっている人間の視点から1つの提案として投げかけることは出来た気がする。 それでもこの経験を通して、やはり教育というものはとてつもなく難しいものだと改めて感じた。 何かを選ぶための判断材料や手段を提供できても、最終的な決断は本人が下すしかない。 その過程に一緒に向き合ってあげることが、1つの教育の在り方なのかもしれない。